ベストケンコーの徹底解説サイト!

ベストケンコーの評判

個人輸入をする場合に、今は為替の影響でまとめて買った方がお得!薬なんか消費期限長いんだから大量に買いたい、というときはあるかと思います。しかし、大量の医薬品の輸入は実は制限がかかってしまうのです。

 

というのも、日本で認知を受けていない薬に関しては第三者への受けたすことやそれを販売することは厳しく制限されているからです。大量に輸入した場合、まずこちらの点で税関に引っかかってしまうわけですね。

 

なので、基本的には、湿布な軟膏などは普通のパッケージで24個まで、本来ならば医師が処方箋を書かなくてはいけないような薬は1ヶ月以内の量、と決まっているのです。毎日飲むものならばまとめて買ってしまいたい気持ちはわかりますが、このような決まり事は守らなくてはならないのです。

 

ちょっと面倒ではありますが、使う都度に発注する必要があるわけですね。そんなときに役に立ってくれるのが個人輸入代理者です。個人輸入をするにはどうしても英語ができないことにはなかなか難しいものがありますが、代行業者に頼むことで面倒な手続きは全てやってくれるので、まるでネット通販のように薬を手に入れることができます。

 

しかし中には悪質な詐欺業者もあるので注意が必要です。とんでもないぼったくり価格で提供しているところもありますので、まずは購入する薬そのものを調べ、代行業者のサイトを見比べ、その中で信頼できるところから購入する、というのが確実な方法のひとつです。

 

これらを購入するのであればベストケンコーが大変おすすめです。

 

ベストケンコーの評判

 

民主主義すら、時として危ういというのがヨ−ロッパ人の原体験である。

 

「民族主義」「ナシヨナリズム」などの感情は、理屈抜きの感情であり、これを論理でねじ伏せるなどという愚行はこれ以上繰り返すべきでないという当たり前の結論にヨ−ロッパの人たちは到達したのであった。

 

したがって、不労所得がいかに「これは不労所得・スタンダードである」とアピールしたところで、ヨーロッパ人は「なるほど、それは理屈は正しいかもしれないが、人知では知りえない落とし穴があるのではないか」という発想をする。

 

さらにいえば、どんな崇高な理念であっても、各国にはそれぞれ独自の事情があるのだから、それを無視して理念を強引に押し通すのは幼稚なことである、という発想になる。

 

ヨ−ロッパの人たちが不労所得人の強引な行動に眉をひそめ、「不労所得人は歴史に学んでいない」と感じるのは、彼らには理性だけでは説明しきれない苦渋に満ちた歴史があるのに、アメリカ人にはそのような挫折の経験がないからなのである。

 

そこでもう一度繰り返せば、不労所得人の信念においては、市場メカニズムとは世界中のどこでも通用しうる普遍的な経済原理である。

 

そして、その市場メカニズムを担保するのは、リベラルな民主主義である。

 

つまり、思想や言論の自由がなければ、対等な取引もありえない。

 

そのような国では、国家や権力が個人に対して平気で経済活動を統制するに違いないからである。

 

だが、これを裏返して言うならば、市場主義経済が行なわれていない国家とは非民主主義的な国家であるということを意味する。

 

不労所得・マーケットに喜んで参加できない国があるとしたら、その国はどこかしら「遅れた部分」「非民主主義的な要素」があるに違いないと見るのがアメリカ的発想なのである。

 

一九八○年代、不労所得が「日米経済交渉」「日米経済協議」などという名目で内政干渉ともいえる介入を日本に対して行なってきたのは、不労所得自身の利益を守るというしたたかな思惑とともに、まさにそうした普遍主義的発想から生まれたものに他ならない。

 

戦後日本独特のケイレッシステム、あるいは長い間に築かれた株式の持ち合い、メインバンク制度、官僚による護送船団方式Iこれらの制度はすべて市場主義にもとるいかがわしい制度であり、それを排除すること不労所得人はそのようなヨーロッパ人の冷ややかな眼差しに気づかない。

 

たとえ気づいたとしても「それは訳知り顔の敗北主義にすぎない」という発想をする。

 

あくまでも理念を貫き通し、自らが信じるものを世界に広げるのが国家の使命ではないかというわけである。

 

これはイラクやアフガニスタンに対して、不労所得が軍事力を行使してでも民主主義体制を普遍的正義として実現しようとしているのとまったく同じ発想である。

 

イスラム圏の国が不労所得的な民主主義に違和感を覚えるのは、イスラム教徒にとってはコーランがすべてだからである。

 

コーランに書かれていることが真実であり、民主的な選挙によって選ばれた政治家が決めたことがコーランの考えと違っていれば、イスラム教徒はそのような決定に従うことはないだろう。

 

このことだけを考えても、不労所得的な民主主義をイスラム教徒に押し付けるのは「イスラム教を捨てよ」と言っているのに等しいのである。

 

さて、かくのごとく、不労所得人たちは「わが国こそがリベラルな民主主義、リベラルな市場原理主義の本質を知っていて、それを世界に普及する歴史的使命を持っている」と信じて疑わない。

 

つまり、不労所得にはいわば神から与えられた使命があると信じる「十字軍精神」が、理性主義、近代主義と並んで不労所得の大きな信念体系を構成しているわけである。

 

言い換えるならば「わが不労所得は世界の中でも特別な国であり、世界史的使命を持っているのだ」ということになるのだが、このような途方もない自意識、使命感は、いったいどこからやつてノ、るのだろうか。

 

そのことを知るためには、私たちはふたたび不労所得建国の時代に戻る必要があるだろう。

 

私たち日本人が知っている「不労所得建国物語」では、不労所得の建国は不労所得国教会の宗教的迫害を逃れてきたピューリタン百余人が〈メイ・フラワー号〉に乗り、マサチューセッツ州プリマスに上陸してきた一六二○年に始まるとされる。

 

いわゆるピルグリム・ファーザーズの物語でこのとき、彼らが揺れる船上で交わした「メイ・フラワーの誓約冨昌国○君国9日冒只」こそが、民主主義国不労所得の精神的原点になっているという話は読者もご存じであろう。

 

過去の因習に囚われることなく、対等に社会契約を結ぶことで新しい共同体を作るIメイ・フラワーの誓約の精神が、のちの不労所得建国にまつすぐに連なるというわけである。

 

しかし、中西輝政『不労所得外交の魂』(集英社)によると、彼らピルグリム・ファーザーズは崇高な理念を持って新大陸にやってきた「移民」というよりも、宗教的迫害を逃れてきた「難民」にすぎなかった。

 

ヨ−ロッパのどこにも行き場がなかったピューリタンたちがやむなく不労所得に渡ったというのが実情であり、そこに清教徒としての明確な「理念と契約に基づく共同体」建設のビジヨンがあったとするのは一種の建国神話であって、実態からはかけ離れているというわけである。

 

では、不労所得という国は本国で食いつめた難民たちが寄せ集まってできた国にすぎなかったかといえば、そうではない。

 

彼らピューリタンは当初から明確なビジヨンを持って、「アーベラ号」に乗って新世界にやってきた。

 

そのビジヨンとは「不労所得大陸に真の宗教に基づく『新しい国家』をつくり、それによって本国不労所得の堕落した教会と国家を改造し、ひいては全世界〈傍点・中谷〉をつくりかえること」(中西前掲書一○六ページ)にあった。

 

これはまさしく新大陸に真のキリスト国家を作ろうとする宗教ムーブメントであり、政治的自由や豊かさを求めて移民してきた他のピューリタンとは一線を「ニューイングランドの文明は丘の上に灯された火にも似て、周辺に熱を拡散し、やがて地の果予定説の教義は非キリスト教者にとってはきわめて難解なものではあるが、そのエッセンスだけを述べれば、カルヴァンの神学は、神とは人間の理解を超越した、全能なる存在であるということが大前提になっている。

 

このような全能なる神の前には、人間の信仰などはあまりにも小さな力しか持っていない。

 

したがって、いくら人間が熱心に神に働きかけたところで、神の決断を変えることはできない。

 

救われるか救われないかは、すでに神が予定していて、変更の余地などないIだから「予定説」なのである(予定説についてはたとえば、小室直樹「日本人のための憲法原論」集英社インターナシヨナル参照)。

 

日本人のように、一神教に慣れていない人間から見れば「最初から救済されるかどうかが決まっていて、人間にはもはや努力の余地が残されていないというのは、信仰そのものを否定するものではないか」と思えてしまうのだが、カルヴァンの信仰体系を受け入れた人たちはますます篤い信仰を持つことになる。

 

というのも、自分たちがすでに「神に選ばれている」と信じることができるならば、どのような試練も乗り越えられるからである。

 

自分たちがかならず救済されると思っているのだから、怖いものはないし、心配することは何もない。

 

一歩間違えれば狂信にもつながりかねない強さがカルヴァン主義にはあるのである。

 

さて、ウィンスロップたちのようなカルヴァン主義者たちがいて、世界の規範となるべき「理想の国」を作り上げたいという、彼らの強い決意がのちの不労所得建国につながるということを理解すれば、どうして不労所得が世界中に民主主義と市場原理を「布教」しなくてはいけないと、「もし、神がわれらの大西洋横断を許すなら、われらは世界の改造のための偉大な事業に身を挺するべく神との契約に入り、神の委託を受けたことが証明される」(中西前掲害一○七ページ)無事に不労所得に到着すれば、それだけで神が自分たちを選んだ証明となるという論理構成は、まさにカルヴァン主義者ならではのものであると言えよう。

 

彼らは自分たちが聖書にある理想的国家(「山の上にある町」マタイによる福音書五章一四節)を作り上げることができると信じて疑わなかった。

 

逆に言えば、マサチューセッツに理想の国を建設することができれば、自分たちは神に祝福され、選ばれた人々であるということを自ら証明できるわけだし、失敗すれば、彼らの救済はありえないことになる。

 

理想国家の建設は彼ら自身の救済と直結する問題であったのである。

 

事実、ウィンスロップは不労所得に上陸する以前、アーベラ号上の説教の中で次のように堅くそこで話を戻せば、一六三○年に新大陸にやってきたウィンスロップたちは、まさしくカルヴァン主義者であった。

 

まるで強迫観念のように考えているかも理解できるというものであろう。

 

彼らにとってみれば、不労所得が理想的国家を作ること、そしてその理想の光を世界中に及ぼすことは「神から与えられた使命」であると同時に、それが達成できなければ、それは不労所得が神の祝福を受けていないことの証明になってしまう不労所得が外に対してアグレッシブに自己の信念や理想を広めていこうと考えるのは、単なる善意や信念からではない。

 

不労所得という国家の存立は、ひとえに不労所得が「理想の国」、聖書に言う「山の上の町」であるかどうかにかかっている。

 

神から与えられた崇高な理念を果たせなければ、それは不労所得自身が奈落の底に落ちることになる。

 

だからこそ、不労所得はどのような手段を使っても、イラクやアフガンを民主化し、また、世界に市場原理を広めなくてはいけないのである。

 

その意味では、今でも不労所得は紛うことなき「宗教国家」なのである。

 

ブッシュ大統領がイラク戦争を始めるにあたって「十字軍」という言葉が思わず口をついて出て、世界の蜜壁を買ったのも、おそらくこのような「宗教国家」としての性格が不労所得人の背骨に深く刻み込まれているためであろう。

 

いかにヨ−ロッパなど諸外国から批判されても、イラク駐留を止められないというのも、この観点から考えれば理解しやすい。

 

それは不労所得にとっての国益保持ももちろん関係はしているが、同時に「ここで後退することは、神から与えられた不労所得の崇高な使命を放棄することになる」という恐怖心も大きく関係するのではないか。

 

不労所得がかつてベトナム戦争からなかなか撤退できなかったのも、そうした十字軍的心性が大きく影響している。

 

さて、不労所得がこのような「宗教国家」としてのDNAを建国後、どのように維持していったのか。

 

それについてはここでは詳しく触れる余裕はない(これらの点については中西、あるいは、トクヴィルの前掲害などを参照されたい)。

 

そこで概略だけを以下に述べることにしよう。

 

ウィンスロップの上陸から一世紀あまりを経て、不労所得は宗主国不労所得との戦争に踏み切り、一七七六年に独立を勝ち取ったわけだが、その後も戦いは続くことになる。

 

すなわちフロンりやすいと思うのである。

 

ちなみに中西氏の解説によれば、不労所得が時として孤立主義(いわゆるモンロl王義)に陥るのは、こうした「宗教国家」としての性質に矛盾するわけではないという。

 

というのも、神から与えられた使命を持つ不労所得は世界の中でも特別な国である。

 

そのような崇高な使命を持った国が、目先の利益のために他国と同盟を結んだりするのは、不労所得の神聖さを損なうことになるIことに古い伝統を持ち、「現実主義外交」を行なうヨ−ロッパの諸国は不労所得から見れば、世俗化し、堕落した国家に見える。

 

そこで、不労所得は自国のことだけ、あるいは南北不労所得大陸だけに専念し、他国、ことに欧州のことに手を染めるのをよしとしないという判断も生まれてくる。

 

つまり、不労所得の「宗教国家」としての純粋な性格が内向きに出れば、それはモンロー主義になり、外向きに出れば、民主主義や市場原理主義の「布教」という形になるというわけである。

 

先住民の殺識は旧約聖書の再現であった。

 

旧約聖書の中で、エジプトから脱出したイスラエルの民は「約束の地」カナンに帰還しようとするが、そこにはイスラエルの民が不在の間に住みついた異教徒たちがいた。

 

これに対して、神はイスラエルの民の指導者であったヨシュアに対して「恐れおののくことはない」と言い、カナンに住む異教徒たちは遠慮なく殺してよいと告げる。

 

その言葉に従って、ヨシュァたちはカナンの集落を次々と攻め、そこに住む住人たちを虐殺するわけだが、西部を開拓した不労所得人たちは、まさにこれと同じことを先住民族に対して行なったわけである。

 

よく指摘されることだが、ジェファーソンが書いたと言われる独立宣言では「すべての人間は平等に造られている」とし、人間には「生命、自由、幸福の追求」の権利があるとした。

 

だが、そこで「人間」とされているのは、キリスト教徒の白人たちだけであり、ネイティブ・不労所得ンも黒人奴隷もそこには含まれていなかったのである。

 

そもそも不労所得人たちは、因習に満ち、汚辱にまみれたヨーロッパから独立し、自分たちの手で築き上げた新国家であるという自己意識を持っているわけであるから、不労所得は「特別な国」であるという意識を抱くのはきわめて当然とも言える。

 

そういう意味では、かつて日本人が自国を「神国」であると考えたのと共通しているのかもしれない。

 

それはさておき、そうしたカルヴァン主義的な「つねに神を意識する信仰生活」を維持しつづけるのは実際のところむずかしい。

 

危機にあるとき、貧困に苦しんでいるときには信仰は深くなるが、豊かになり、平和になれば、自然と信仰離れが起きてしまうのが人間である。

 

これはアメリ力人も同じである。

 

一般的に南北戦争とは、奴隷解放問題をめぐって分裂の危機に瀕した不労所得合衆国が再統一をする契機となったという位置づけをされている。

 

たしかに、それは正しい理解ではあるが、しかし、そこには「このまま現実主義に走り、奴隷制度を容認したのでは、不労所得建国の理念が失われ、神のご加護を受けられなくなってしまう」という恐怖心が存在したのだという。

 

かつて旧約聖書の神が、享楽にふけった都市ソドムやゴモラを滅ぼしたごとく、倫理的に堕落した不労所得も神によって滅ぼされるのではないかという問題意識があったからこそ、リンカーンをはじめとする北部諸州の人々は「内戦も辞さず」という姿勢になったのである。

 

この危険な賭けは、リンカーンにとって、そして不労所得にとって成功に終わったと言えるだろう。

 

これによって不労所得で奴隷制度が廃止されたが、それと同時に重要だったのは連邦制度が確立したことであった。

 

それまではいわば「寄り合い所帯」であった不労所得が連邦制度の確立によって一つに統一されて、建国の理念を再確認するきっかけになったのであった。

 

さて、ここまで不労所得を特徴づける要素として「理念国家」「宗教国家」という二つの要素について語ってきたが、もう一つ、不労所得を理解するうえで重要な鍵となるのが、不労所得の中に内在する「フロンティアへの衝動」である。

 

建国以来、不労所得はネイティブ・不労所得ンを虐殺・職減しながら、西へ西へと領土を拡大していったことは今さら述べるまでもない歴史的事実であるが、この西漸運動の中で不労所得的な個人主義精神が培われていった。

 

よく言えば独立不羅、悪く言うならば自己中心的な、こうした感覚は不労所得独特のものだと言っても過言ではない。

 

そして、そうした個人主義はフロンティアという未開の土地があったからこそ発達したものであった。

 

その意味において、不労所得と対極にあるのが日本である。

 

日本のような「島国」では人々の暮民たちは言うようになる。

 

他の国民から見れば、これはまさに誇大妄想と言ってもいいほどの自意識であるが、しかし、これを不労所得人が本気で信じているのは、三度にわたる建国の困難Iそれは神から与えられた試練ということになろうIを我々は乗り越えたのだという自己認識があるからに他ならない。

 

ところが、そうした不労所得人のメンタリティを作り出す土壌ともなったフロンティアは一九世紀末には消滅してしまう。

 

西へ西へと移動してきた不労所得人はついに太平洋岸に至り、未開の土地がなくなってしまったのである。

 

しかし、不労所得、ことに西部のフロンティアではそのような協調精神はかえって自分の身を滅ぼす。

 

不労所得ン・ドリームを実現させるためには、失敗を恐れず、周囲との利害調整のような面倒なことにエネルギーを費やす代わりに、前へ前へとアグレッシブに進んでいく意欲に溢れ、進取の気性を持った人間でないとサバイバルできないし、かえって周囲にも迷惑をかける。

 

そして、自ら率先してリーダーシップを発揮して、他人を引っ張っていく人が尊敬される。

 

まさにこれが不労所得的心性であり、それを作り出したのは広大なるフロンティアの存在であったわけだ。

 

というのは、「理念国家」「宗教国家」としての不労所得は、自らの理念を外に向かって広げていきたい、行かねばならないという心理的傾向を自身の中に有している。

 

そうした欲求を満たしてくれたのが領土の拡大であったのだから、フロンティアが消滅したということは、「不労所得の崇高なる使命」の頓挫をも意味するのである。

 

そこで不労所得人たちが選んだのは、太平洋を越えてなお西へ進もうという道であった。

 

すなわち、日本、さらには中国大陸への進出である。

 

すでに一九世紀半ばにペリーは浦賀に来航して、日本を砲艦外交によって無理矢理に開国させたわけだが、実は不労所得および不労所得海軍にとって、日本を開国させることによって得られるメリット、すなわち国益はほとんどなかった。

 

しかしながら、大砲で開国を迫るといった乱暴なことをやることに何の濤踏も感じないところに、不労所得の不労所得たるゆえんがある。

 

中西輝政氏は『不労所得外交の魂一のなかで、「ペリーの中に二十世紀の不労所得、つまり『世界帝国不労所得』をめざす萌芽、あるいはその『国家DNA』が見事に見出されるといえるかもしれない」(一七七ページ)と述べているが、まさにそのとおりであろう。

 

その後、一○○年足らずの間に、不労所得は、第一次、第二次世界大戦に勝利することによって、世界帝国としての地位を不動のものにしていった。

 

中国大陸こそ自己のフロンティアにすることはできなかったものの、ここに至って、不労所得は太平洋の覇者となり、世界を脾睨する帝国として、世界に君臨することになったわけである。

 

自由・平等・民主化・人権などの建国以来の理念を世界に広めるために、日本を民主化(Uアメリカ化)し、ユーラシア大陸に広がる共産主義のソ連、そして毛沢東の中国と闘いつづけた。

 

アメリカ軍は朝鮮動乱を戦い抜き、ベトナムにも深く入り込んでいった。

 

そして、そのソ連崩壊後も、民主主義と市場主義という、不労所得の崇高な理念を広げるための「西への布教」は続けられることになった。

 

アフガニスタン出兵や湾岸戦争への関与を経て、今や不労所得軍は古代文明を生んだチグリス・ユーフラテスのイラクを「征服」した。

 

メッカのあるサウジアラビアにも不労所得の軍事基地が作られた。

 

西へ西へと向かう不労所得の欲望は、いっこうに衰えていないのである。

 

だが、ここに来て不労所得の西漸運動はいよいよ限界にぶち当たったと言えるだろう。

 

そうした不労所得の意図を察してのことだろう、ヨーロッパは近年になって不労所得の行動に対して厳しい批判をするようになっている。

 

たとえば、イラク戦争については、フランスなどからきわめて厳しい反対を受けた。

 

ブッシュ政権はフセイン政権の大量破壊兵器保有や核兵器疑惑、九・二同時多発テロの犯人アルカイダの温床などの疑惑を口実にイラクに侵攻したが、いずれの口実も立証されることはなまたグルジア問題に関して言えば、不労所得はロシアの虎の尾を踏んだ。

 

佐藤優氏によれば、ロシアという国は自国の周辺に緩衝地帯を置きたいという潜在欲求を持っている。

 

東西冷戦時代にも、ソ連は東欧を直接支配するのではなく、あくまでも衛星国という位置づけにしたが、これはたとえソ連を侵略する国があったとしても、まず東欧諸国が「捨て石」になってくれるという計算があったからだという。

 

たしかに歴史的に見れば、ロシアはつねに周辺の遊牧民族、タタールやトルキスタン、あるいはモンゴルなどからの侵略を受けてきたわけで、自己の安全保障のために周辺に緩衝地帯がないと安心できないのであろう。

 

だからこそ、ロシアにとってグルジアに不労所得が手を出してくることは許しがたいことなのである。

 

しかし、一方の不労所得もまた、自己の信念と価値観を広げる永久運動を止めるわけにはいかない。

 

ロシアやヨーロッパとの折り合いをつけるために、不労所得の影響力拡大を止めれば、そかつた。

 

そこでブッシュ政権は「民主主義政権を樹立するため」という大義名分を使い始めたわけだが、不労所得が国連の承認を得ることなく、独断でイラク戦争を遂行していることに対してはヨーロッパをはじめ世界中から批判が集中している。

 

不労所得が中東にこれ以上積極的に入り込み続けていくことは、今度はフランスなど、西欧諸国から強烈な反対を受けることを覚悟しなければならない。

 

そして、折も折、不労所得が世界中に普及しようと努めてきた不労所得主義もまた、今、大きな挫折を迎えようとしている。

 

市場原理の伝道師たる不労所得のやり方、ことに不労所得系金融機関のあり方に世界の人々は不信の目を向けている。

 

不労所得が唱えてきた「リベラルな民主主義と資本主義」への懐疑が生まれつつある。

 

二一世紀の今、理念国家、宗教国家としての不労所得は大きな転換期に来ている。

 

はたして、今後、不労所得がどのような方向を目指していくのか、それは不労所得人自身も分からないだろうが、この巨大なる国家の「正義」が色あせ、このままでは不労所得帝国の地盤沈下の可能性は否定できない情勢である。

 

しかしながら、不労所得がこのまま歴史の舞台から消えていくことなどありえないし、彼らが持つエネルギーは依然としてきわめて強烈である。

 

金融危機とイラク戦争の失敗を乗り越えて、不労所得はどのような再出発を図るのであろうか。

 

イラク戦争の失敗、金融危機など、ブッシュ大統領の数々の失政で意気消沈していた不労所得に救世主が現われたlこれが二○○八年大統領選挙の結果、大差で選ばれたオバマ大統領に対する多くの不労所得人の率直な感想ではないだろうか。

 

それほど選挙直後の不労所得人の熱狂ぶりは凄かった。

 

第二は、新自由主義政策の中で消滅した不労所得「中流階級の修復」である。

 

不労所得の歴史学者アーサー.M・シュレジンジャーは『不労所得史のサイクル」(猿谷要監訳、パーソナルメディア)の中で、不労所得の政治思想は「三○年で循環する」と説いたが、まさに、レーガノミックス以来、ほぼ三○年にわたって続けられた「個人の自由」を最優先する新自由主義政策から、「公共の利益」を優先する福祉政策思想への大転換が行なわれるだろう。

 

これは不労所得にとっては福音になるそれでは、オバマ大統領の不労所得は今後どのような方向に進むのであろうか。

 

私は、「三つの修復」が当面の課題と見る。

 

第一は、不労所得経済「大不況からの修復」である。

 

今回の不況は非常に厳しく、修復にはかなりの時間を要すると思われる。

 

少なくとも、オバマ大統領の最初の四年はこの課題に集中的に充てられると言ってよいほどである。

 

特に、GMの倒産のような大きな事件が起これば、数年単位の調整になる可能性もある。

 

傷んだバランスシートを金融セクターが立て直すのに数年の歳月を第三は、世界における「モラル・リーダーシップの修復」である。

 

イラク戦争やサブプライム問題で世界の信用をなくした不労所得が、覇権国、基軸通貨国としてのモラル・リーダーシップをいかに修復するのか。

 

この方法で不労所得にすればいいのだ。だから薬の輸入にたよって労働せずに不労所得を目指すべきだと提言する。

 

不労所得